その4.完全即興とは? 〜AZUKIの即興論〜

皆さんこんにちは
AZUKIです!

創造工学研究についてひたすら記述するブログ、
「AZUKIの創造工学研究室」
第4回目です。

創造工学とは簡単には、「創造という行為に方法論はあるか」という問いに答えを出そうと試みる学問です。

今回のお題は、

「完全即興とは? 〜AZUKIの即興論〜」

です。

これは僕の専門分野なので、読者の方を振り切るかもしれませんが、可能な限りわかりやすく記述する様努めます。
是非最後までお付き合い頂ければと思います。

まず、

即興にも2種類ある

というお話から。
(以下全て踊りに関しての話です)

ひとつは、
「既に自分が覚えている(身体が覚えているも含む)1フレーズの動きを、その場で、音に合う様に、組み合わせながら踊る」という即興。

(一般的な即興ダンスです。僕はこれを半即興と呼んでいます。)

そして、もうひとつは「完全即興」といわれるもので、言語化すると以下の様になります。

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「踊りの主体が自分(自我)では無くなり」、

「まだ自分も知らない動き」が、

「自分の意思から離れてその場で勝手に生まれ出し」、


(「自分の意思の外側で生まれる動き」であるが故に「本人でさえも二度と再現不可」な、まさに
『「今」「その場」「その瞬間」』
にのみ生まれる動きである。)

それと同時に、

即興の障害となる自我、

(「音を聞こうとする自我」や、

「周囲からの評価を気にする自我」など)が、

完全に消え去るに至ると、

「動きに一切の躊躇が消え」、

「踊りと音が寸分の誤差無く同化し始める瞬間」が訪れる。


この瞬間が「完全即興」である。

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…なんとなくでも、イメージは伝わるでしょうか。

上記記述の中で、完全即興に至る最も重要なポイントは、

「動きに一切の躊躇が消え」

という点にあります。

これさえ実現出来れば、

「踊りと音が寸分の誤差無く同化し始める瞬間」

が訪れ、完全即興の境地にぐっと近づきます。

さて、ここで動きに躊躇を与える2大原因を挙げます。

〜躊躇の2大原因〜

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【原因① : 音を聞こうとする自我】

「音を聞こうとする(合わせようとする)」
「音を聞こうとする(合わせようとする)事に意識が取られて音に遅れる」
完全即興に到れず。

【原因② : かまそうとする自我】

「かまそうとする」
(見てる人に「おぉ!いいね!」と言ってもらおうとする)
「どの動きが一番かませるか、という事に意識が取られて音に遅れる」
「さらに今自分がした動きが、かませたかどうかの確認に意識が取られる」
「さらに音に遅れる」
完全即興に到れず。

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上記原因①②ですが、今回は原因②を打破する方法論を記述して筆を置こうかと思います。
(この方法論は創造の為の方法論でもあります。)


その方法論とは、

「人らしくあろうとする事をやめてみる」


です。

…いや別に、変人奇人狂人みたいな振る舞いをせよ、とかそういう意味合いでは決してないので、ご安心下さい。

前回のブログ「構造主義的思考法」にて、構造主義を知っていると、「今、自分が、大多数の人と同じ選択をしてしまっているかどうか、常に自分をチェックする」様になり、「大多数の人とは違う選択が出来る」様になり、それが創造性を高める、といった趣旨の事を述べました。

この理論を「究極的に活用した創造法」が、この「人らしくあろうとすることをやめてみる」なのです。
(あくまでひとつの方法論ね!)

突然ですが、

あなたは、
周りの人よりちょっとイケてる自分、
でいる時に居心地の良さ(自尊心の高まり)を感じませんか?

逆に、
周りの人よりちょっとダサい自分、
でいる時に少し落ち着かない(自尊心の低下)感じになりませんか?

あなたが「大多数の人」であるならば、この質問に「イエス」と答えるはずです。

つまり、

_________________


大多数の人が、

「他者との相対評価」を、

「自尊心の決定基準として採用し」、

「常に自尊心が上がる行為を選択する」、

という思考回路を持っている。

(持たされている。)

_________________


訳です。

ここで以下の文を差し込みます。

_________________


「創造という行為」は、「何が多数派であるかを人一倍敏感に察知し」、「少数派の道を選ぶ行為」である。 

_________________


…どうでしょうか?
少し私の言わんとする事が見えてきたのではないでしょうか。

つまり、
多数派ではなく、少数派の道を選び、
創造性を究極的に加速する方法は、
以下の通りとなる。

それは、

_________________


「他者との相対評価」を、
「自尊心の決定基準とする事を放棄し」、
「自尊心を自ら下げに行く行為ですら選択出来る」
という思考回路を構築する。

_________________


である。

そしてこれを別の表現で言い換えると、以下の事が言える。

「人らしくあろうとする事をやめる」

行為すら、

「創造の為のカードとして使える」


…どうでしょう?

この最強のカードを使えば、創造性を加速させると同時に、完全即興の実現を邪魔する要素、つまり動きに躊躇を与える原因②「かまそうとする自我」を消し去る事が出来ます。

何故なら「かまそうとする自我」なんてものは「人しかもっていないから」です。


スミレはスミレらしくただ咲いているだけで美しい。

という事で、
今回のブログはこれにて終了!

何かヒントになりましたでしょうか?

またね!

AZUKI 

小豆の創造工学研究室

踊りにおける即興と創造について考えるブログだよ。

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